昭和14年当時の新宿通周辺と水路
みどり市街かど歴史資料室室長の赤石氏所蔵の史料です。


地図はかつて水車まちが作られていた新宿通をメインにかかれたものです。巻物状の形態の地図で地図には昭和14年の記載があります。


地図の中央を横切る新宿通の両側には、水路があることが分かります。多くの支流が枝分かれしていて、一箇所新宿通を水路が横切っている箇所も見受けられます。


通の上側の方が、通の下側に比べて水路の枝分かれが多いように見受けられますが、これは旧公図をベースに再現した水路図の結果と一致しています。


巻物左端と右端に、中央の地図と不連続な形で別の地図が書き添えられています。


左側は第三区で、メインの図の第四区の隣の地区のようです。みたところそのまま、左の図を右に寄せるとメインの地図に接続しそうです。


右側は、メイン部分と同じ第四区ですが巻物に入りきらなかったために、引き離して書いたものでしょうか。図を反時計回りに回転させると、メインの図に接続できそうです。「桐生機械株式会社」と書かれていることも確認できます。




桐生の水車は、大正時代を全盛に昭和に入ってからは電力利用に置き換わり、次第に減少していったといわれています。昭和14年の時点では恐らくほとんど水車はなかったと考えられますが、当時はまだ網の目のようなまちなかの水路が顕在だったようです。