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富岡製糸場をしのぐ規模を誇った桐生の近代工場
日本織物株式会社 工場鳥瞰図

明治22年、桐生で生糸商を営む佐羽家を中心とした出資によって、日本織物株式会社が設立されました。工場の敷地面積は、約63,000m2。現在は桐生市役所がある織姫町周辺に建設され、富岡製糸場(約55,000m2)を上回る規模でした。さらに、撚糸、織成、染色、整理など織物の準備工程から仕上げ工程にいたるまで、欧米の近代的な機械設備によって一貫生産体制を築きました。

日本織物株式会社の工場は、当時の日本において規模の面のみならず、近代的な製造設備においても、最先端の工場でした。殖産興業政策によって、官営の近代的な工場が次々と建設されていた時代に、100%の民間資本で国内トップクラスの工場が桐生に建設されたことは注目に値します。

近代の水力工場

もうひとつ重要なのは、日本織物株式会社の工場動力は水力であった点です。これも欧米の技術を導入し、専用水路を開削して渡良瀬川から水を引き、近代的なタービン水車に導きました。水車は2機設置されたとされ、シャフトを通じて建屋内の機械設備の動力に運用した他、照明用の発電も行いました。余剰電力は街中の電灯照明としても使用されたようです。日本織物株式会社の水力発電は、群馬県で初の事例です。

発電用水路と導水の機構

下の図は日本織物株式会社が開削した水路です。渡良瀬川(水色)から取水し、右へ向けてゆるいカーブを描いた後は、直線的に流下して再び渡良瀬川に吐出します(青色)。中間地点の実践で囲まれた場所に工場が建設されました。

工場用水路(工学会誌76巻P.291より引用、水路部を着色)

敷地内では、下の図のように分水し、分水路は工場建屋をぐるりと囲うように流しました。一方水車発電は、直進する本流のほうに設置されました。

導水機構(佐羽宏之氏提供の図面に追記)

水車は下の写真のように現在も遺構が残っています。この水車はフォイト社製(ドイツ)320馬力のタービン水車です。しかしこれは2代目で、初期はスタウトミルテンプル社(アメリカ)製の水車が設置されていました。

日本織物の水車の遺構
(水車の遺構:著者撮影)

初代水車建設中の写真
(初代水車:佐羽宏之氏提供)