赤岩用水 ──撚糸水車が並んだ用水路

赤岩用水は、渡良瀬川の元宿町付近、JR両毛線の鉄橋付近から水を引き、桐生の新宿から境野を通過して再び渡良瀬川に流下する用水路です。下の写真に見るように、明治のころにはこの用水路に多くの水車がかけられ、「水車まち」ともいえる特徴的なまちなみがありました。


明治の新宿通
明治の新宿通の様子

写真は新宿通で写真の道を奥に進むと境野につながります。道路の左脇に用水路(赤岩用水)が流れ、家々の前に水車が設置されています。水車のある家々はいずれも、絹織物の織り糸に使う生糸の糸撚りをする撚糸業を営んでいたと思われます。


1997年に桐生市の南公民館と生涯学習推進委員とで、動向民間で開催されている「夏休み教室」と「水曜談話サロン」を合体させる形で、子どもたちがお年寄りと一緒にまちの歴史を学ぶ企画が開催されました。水車が使われていた時代を知るお年寄りたちの話を聞きながら、子どもたちが「撚り屋(撚糸業)」「機屋」など、かつて活躍していた織物事業者と使われていた水車の位置を地図上にプロットしました。この企画で作られた地図は、今も南公民館に保管されています。


南公民館の水車マップ
子どもたちが作った水車の地図

次の図は、上で紹介した子どもたちが作ったもとに水車の位置を作図したものです。新宿通に特に多くの水車があったことが分かります。


新宿通の水車群
南公民館の資料をもとに作成した新宿の水車設置箇所

現在、新宿通からは水車も用水路も姿を消してしまいました。赤岩用水自体、支流の大部分が埋め立てられたり、暗渠になったりして姿を消しました。それでもかつてここには桐生でしか見られないような水車のまちなみがあり、日本を代表する織都・桐生の産業を支えていた歴史は、後世に伝えていく価値のあるものと思います。